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「構造」の再発見記

インタラクティヴとかに興味がある京都の学生

【能面打ち】自分は「出す」のではく「押さえつける」

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能面は、能の中で不変を貫いている

 

 

今日から、能面のお話です。

ぶっちゃけ、色んな文献のまとめに過ぎませんが笑。

 

 

 

多くの人が「能は、世阿弥の時代で完成した。だからそのままの姿で現代まで受け継がれている」という認識を持っています。

実はそれ間違った先入観で、実際はそうじゃない。

 

 

例えば、今見る能装束のデザインは桃山時代からのものだし、発声法に強吟と弱吟という二種類あるのですが、強吟が完成するのは、幕末から明治時代にかけてだったりします。所作に関しても、脚の開き方を内股にする流派が現れたり、江戸時代中期に舞台/演出が完成したり。各時代のセンスを吸収して今の能があるのです。

 

 

 

 

 

じゃあ、能面はどうなのよ?って話です。

能面は時代によって変化しているのでしょうか?

 

「写し」の精神と社会的背景の二つに分けて解説していこうと思います。

 

 

 

 

①能面打ちの「写し」の精神 

能面制作においてキーワードとなるのが「写し」というものがあります。

写しとは

古人から伝えられた優れた装束などを手本として作った作品のこと。「写し」の作品を制作することを「写しを取る」「写しを作る」という。写しを作ることで、傷みが進んで使用できなくなった作品と同様のものを舞台に甦らせたり、制作技術の伝承に役立つなど多くの利点がある。伝書などを書き写すことも「写し」という。

写し (うつし)とは:the能ドットコム:能楽用語事典

つまり能面を作る際は、「これと極力同じ面を作れ。変なことはするな」ということ。

能面は原則、この「写し」で制作されます。そのため、室町時代に作られたマスターテープのような面を「本面」それ以降の面のほとんどは「写し」なのです。

 

 

 

 僕からしたら、東京喰種とかブリーチみたいな中二でかっこいい面つくりてええええええ。ってなるんだけど能面の世界では、そうはいかないみたい(・ω・`)

もちろん、能面を「創作する」こともあります。

大野出目家伝書には、「猛虎」「白妙」「愛染」など分類不明の面が確認できますし、諸大名が好んで創作面を作らせていたという記録もあります。その辺は割と積極的だったようです。

 

 

 しかし、能面において大事なのはそういった自分の「あれしたい」とか「これしたい」という欲望を押さえ込んで打つこと。自分を最小限にして面を打ち、本面を打った先人の意思を後世へ遺すこと。

極限まで「自分」を押さえつけた状態で面を打つと、無意識の「自分」が面に宿ると言われています。その無意識で本面を超えようというのが面打ちに課せられた使命なのです。そして、完成した面を見て、能面に「写った」自分を見つめるのです。その面を能楽者が選ぶ。面打ちの喜びはここにあるのではないでしょうか。

 

ただ本面のコピーを作れというとそうじゃない。

 

 

 

 

 そのため、面打ち達は常に自分の精神/身体の状態に気をかけていた。というのが僕の推論。微妙な心の揺らぎが面に現れるから。

例えば 

「あの面打ちは、身勝手な性格してるから、きっといい表情の面は打てないだろう」

「あいつは、本当に品のある、日常の所作も美しいやつだ。美しくて繊細な面を打てるんじゃなかろうか」

「じゃあ、本面を超える為には、私はどういう生活を送れば良いだろう?」

面打ち達はこんなことを考えていたに違いないでしょう。日常の積み重ねが面に影響するのです。

 

 

 

 

ちなみに、西洋芸術ではよく「自分を出しなさい」と教えられるそう。

「写し」と全く逆ですね。

「西洋では逆に「自分をあらわせ」と言う。 私の学んだ当時の東京護術大学の彫刻科は、ファッチーニやマリーニ等のイタリア彫刻家の影響を 受けた教授陣が多く、自分を表出する事を当たり前としていた。「自分を抑えるとか「自分を殺す」と言う言葉には、ある種の拒否反応を示していた」

水野 靖『能面の歴史-造形視点から捉えた能面-』 2014年 2Pより

とあります。こうも根本的に西洋と日本の考え方って違うものかと、驚きました。

 

 

 

②社会的要因                                           

また、社会的背景も要因にあります。江戸幕府の封建制度です。

能面制作も家元制度で継承することになり、また「万事、古法を守るべし」という幕府の方針と、「写し」の精神により能面は、変わらないことを運命付けられるようになったのです。

 

 

 

 

まとめ 

能は、世阿弥の時代から現代まで常に変化し続けている。

しかし、能面だけは「写し」を重んじる為、能において不変というある種、軸の役割を果たしている。

強いていうなら、能面は時代を超えた面打ちの心によってのみ変化するものだと言える。

 

 

っていう感じ。今回はここまで!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この「自分を抑える。そうすれば、無意識の自分が見えてくる」という考え方は、能面だけの話ではないですよねー。

 

目から鱗ですよ!!

本当!!

 

 

今まで、自分は出してなんぼでしょ。って考えで生きてきたんだもん(・ω・`)

でも自分を出すことと、アクションを起こすことって実は全然、違うんだよなあ。あああああ。それって行動力あるとは言えるけど、地頭力ではないですからねえ。

ちょっとだけ、腑に落ちた気がします。

 

 

 

 

 

もしかしたら、自分は「出すもの」ではなく「まず押さえるもの」なのかもしれない。

せっかく、日本に生まれて日本で育ったのだから、日本人独自の生き方をしたい。

それが、今回学んだこと

 

「自分を押さえること」

 

その精神を大事にしつつこれから過ごしてみようと、僕はちょっと思ったわけです。

 

 

 

 

 

 

次回は能面の役割について。

アフリカ、西洋の仮面の話もできたらな〜って思ってます。

 

話変わるけど、僕が関わってる花原君の卒制(映画)も、仮面が象徴的に登場するんよな~。なんたる偶然。

では